良かれと思ってやったことがクレームになったときにどうするか問題
こんにちは。
半分仕事、半分休日の土曜日です。
さて今日のテーマはこちら。
良かれと思ってやったことが
クレームになったときに
クレームになったときに
どうするか問題
これ、一度くらいは
誰でも経験があるんじゃないでしょうか。
誰でも経験があるんじゃないでしょうか。
私の例です。
独立した駆け出しのころ、20年くらい前。
いまの私は、取材先は自分で選ばせてもらいます。
でも、20年前はそんなことは言っていられません。
ある就活媒体から頼まれ、某企業へ行きました。
出てきたのは、自社の悪口をずけずけ言う若手社員さんです。
この社員さんをクローズアップしたのはその企業だし、
ここまではっきり言う人は珍しかったので、
風通しの良さをアピールしたいんだろう、と私は考えました。
それは学生の目を惹く、いいアイデアにも思えました。
でも就活媒体だから、ほどほどが大事。
そこで、少し悪口を織り交ぜつつも、
最終的には、そういうことも言える社風ですよ、
という落としどころにしたつもりです。
ところが、その部分はばっさりカットされ、
こんなことを書かれては困る、となって、
もう一度、書き直すことになりました。
今日のテーマ、
良かれと思ってやったことが裏目に出ること、
良かれと思ってやったことが裏目に出ること、
あるんですよね~。
~ ~ ~
では、この出来事を踏まえて、
これからどうすればいいのでしょうか?
私は、3つの点を踏まえて
考えるといいと思います。
考えるといいと思います。
① これまでに、
良かれと思ってやってあげたことを
良かれと思ってやってあげたことを
喜んでもらった喜びに目を向ける(質)
② これまでに、
良かれと思ってやってあげたことが
良かれと思ってやってあげたことが
裏目に出た発生度合いを冷静に考える(量)
まず①②だけで考えてみます。
②のインパクトが強烈なので、
②のインパクトが強烈なので、
「傷ついた」「不快だ」
「また同じ目に遭うのが怖い」など
ネガティブな気持ちが残りがち。
「また同じ目に遭うのが怖い」など
ネガティブな気持ちが残りがち。
でも、これまでの現実を冷静にみると、
①の喜びのほうが圧倒的に多くないですか?
ほんのわずかな②のために、
①をやめてしまっていいの?
という問いが生まれますよね。
そして
③ 自分はどちらの道を選ぶのか。
自らの志に聞く。
私の場合だと、
「二度とリスキーな原稿は書かない」なんて道は
選びませんでした。そんなの冗談じゃないよって感じ。
取材先の会社に対して言ってるんじゃなくて、
自分自身に対する思いです。
そのときの反省点としては、
・自社の悪口を言う人を面白がってしまった点
・就活情報誌に出稿する企業側の基本的な目的を
見誤ってしまった点
・どちらの方向を望むのか確認しなかった点
(就活情報の記事は広告記事であり、
私がいつも書いているパブリシティではないので、
企業側の意向を聞く必要があったのです)
この反省は ↑ 次から生かさないといけません。
でも、だからといって、
これからも書き続ける自分の原稿を、
今後は、当たり障りのない、
毒にも薬にもならないものにしてしまうのは大間違いです。
私はチャレンジしていきたい。
~ ~ ~
「クレームには勉強材料が詰まっている」
という考えは間違ってはいないけれど、
いちいち敏感に反応していたら、
自分の世界はどんどん狭く、
つまらなくなっていきます。
~ ~ ~
公共の公園や建物に行くと、
「〇〇しないでください」
「〇〇禁止」
という案内がやたらとあったりするんだけど、
「みなさまのご意見に沿う」と、
まあ、そういう感じになっていくわけですよね。
注意書きばかりの公園みたいな人生なんて、
やっぱり「冗談じゃないよ」ですよね?
~ ~ ~
良かれと思ってやったことが
クレームになったときーー、
クレームになったときーー、
一瞬、ドキッとして、
嫌な気持ちになりますが、
冷静に、めげずに、①②③を考えてみましょう。
自分の世界を縮めないように。
そしたらまた~



経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
瀬戸川礼子でした。
瀬戸川礼子でした。
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